裏菊瓦
義父が持っていた瓦。
近くのJ寺の屋根の吹き替え時、関係者から頂いたものらしい。
檀家のお寺ではないので、どういう経緯で頂いたのか
わからない。
義父はマメな人で、その当時の記録など記したノートが
あるので、時間がある時にゆっくり読んでみよう。
この瓦と一緒に手書のメモが入っていた。
『裏菊瓦』
J寺本堂屋根下棟側面に裏返しに張りつけてあったもの。
菊紋の由来
菊の花、あるいは花とは葉を紋としたもので、後世皇室を象徴する紋章となった。
古来中国では菊を仙花と称し、めでたい花として珍重し、鑑賞に供したほか延命薬用にも効ありと考えた。
日本においてもこの思想に基づいて中国との交通の盛んとなった奈良時代より次第に人の関心を惹き、平安時代に入っては重陽の節句などで菊に寄せる感懐も深くなったことは『類聚国司』やこの時代の勅撰集に見えている。鎌倉時代の初期、後鳥羽天皇は菊を愛し、「承久記」には譲位後に菊太刀を手ずから作り、茎に菊の紋章を刻したことが見える。
深草、亀山後、後宇多の歴代天皇も先例によって菊紋を用いたことから皇室専用の物と一般に考えられるにいたった。
室町時代には特に功労のあったものに対して菊花紋、桐花紋を下賜された例も多いが、これとは別に一般の使用もあったので豊臣秀吉が文禄四年、臣下の使用を禁止した。
明治元年、戊辰の役には、16葉の菊花を印した錦旗を征東大将軍に下賜、翌年皇室の御紋章を16葉、親王家は14葉、15葉以下もしくは裏菊と定めた。
大正15年、皇室儀制令により皇室の御紋章は16葉八重表菊とし、その様式、寸法などが明示された。
皇族の紋章についても明記がある。
(原文のまま)
この瓦は16葉だが、八重ではないので「裏菊」
ということなのかな。
ふふっ、表菊なら手元にある筈もないのだが。
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