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橋下現象考


左右自在な「一君万民」



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中国新聞の文化欄に「橋下現象考」という記事が上、中、下の3回に分けて載っている。

その中で、歴史学者「與那覇 潤」さんの記事にある種同意 、そのままお借りしてup。

 例えば脱原発でも、何年かけ、代替え電源をどうするかなどの課題を議会の場に上げ、多様な観点から協議するのが西洋的な民主主義。これに対し、民意を組んで正しく判断できる統治者がひとりいれば政党も議会も不要で、彼に官僚が忠実に従えばよいとするのが、中国の儒教王権に起源を持つ「一君万民」主義です。
民意を反映する上で前者は熟議、後者は決断力を重んじる体制ともいえる。
 かつて政権交代可能な二大政党制への移行を「西洋的な民主主義の進展」と歓迎した世論は、民主党政権の「決められない政治」への不満から、民意と政治的決定との間に政党や議会の様な「媒介物」が挟まるのを嫌い、より直接的に民意を執行してくれる存在を求めているように見えます。その意味で、日本社会は「西洋化」に失望し「中国化」している。
 小泉純一郎氏、石原慎太郎氏、橋下徹氏らが支持を集めたのも同じ理由です。政策というよりも「君主」個人の人格への期待が高いのが特徴で、派閥や議会、労組などの中間団体を抑圧し、民意と政治の間の「最小限の媒介者」を演じることでカリスマになった。自らの意志と民意を同一視し、政敵に厳しい中華皇帝の専制にも似た、現代の一君万民といえるでしょう。
 中でも橋元氏の場合、戦後日本の右派、左派の色分けから自由なポジション選択も、自分を「万民」の代表としてアピールする効果を発揮している。学校現場の君が代問題で「右」の、竹島の日韓共同管理案や大阪都構想の区長公選制導入案では「左」の人々の欲求を代弁する。よく言えば柔軟、悪く言えば無節操。石原氏個人に親近感を示しつつ、タカ派ぞろいの石原新党との連携に慎重なのもうなずけます。
 逆に、一君万民のオーラが薄れた時は弱い。国政進出のため結成した日本維新の会に、既成政党の国会議員という「不純物」を受け入れた事で、最小限の媒介者としての橋下氏の魅力が色あせてしまい、次期衆院選を前に一時の勢いを失ったのが典型です。自身の不出馬表明も、選挙後の混迷を見越した戦略では、と勘繰りたくなる。
 仮に維新の会が数十人の当選者を出しても、自民、公明両党の単なる補完勢力では「決められない政治」は変わらない。世論が次の事項政権を見放すまで場外で人気を保ち、「変えられないのは「維新の会」が純粋じゃないから。本人が国政に乗り込んで『橋下首相』が実現すれば変わる!」との待望論を喚起する。そんな筋書かもしれません。

うーん、読んで納得するところも多々ある。。

おりしも、野田政権は16日解散し衆院選を12月4日公示、16日投開票の日程で実施する方針を決めた。

第3極の動きに対抗するべく民自公3党のシナリオ通りに運んだ感がある・・。
でも、世論もいろいろ学んで自主的判断をする人が増えてきている、そうそう政治家の重い通りにはならないように思うのだが・・・。





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