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新聞連載小説“親鸞” その4 首切られ念仏

時の上皇の怒りをかい、法然門下の遵西と住連の処刑の日が決まり、最期を見送ろうと人々が河原に集まった。
一人の男が刀をふりあげ、遵西の首に振り下ろしたとき、「なむあみだぶつ」と、善信が大声で念仏した。繰り返し念仏し、役人たちがパラパラと駆け出したとき、周囲で遠慮がちに念仏をとなえる声がおこった。その声は、しだいしだいに大きくなっていく。やがて対岸からも念仏の声がわきおこった。
「なも、あみ、だん、ぶ」、「なも、あみ、だん、ぶ」と、念仏の声は地軸をゆるがすように、ますます大きくなっていく。

その時感じた善信の思いが、この小説の基軸になっているように、私には感じる。

“真の念仏とは、法然上人が選択された念仏であり、法然上人の念仏は釈尊の心であり、そして無限無量の大宇宙からさしてくる無碍の光である。
暗い心の部屋の戸をあけて、その光を人々にとどけるのが念仏だ。その光に出会ったとき、人は生まれ変わる。
必ず浄土に迎えるぞ、という仏の約束が信じられたとき、その確信が歓びになる。どんなにつらくとも、生き続ける希望の光が心にさしているからだ。善信は、自分自身がそのことをみずから体験していればこそ、そういえるのである。”
“生きるために殺生する者もいる。暮らすために人をだます男もいる。家族のために身を売る女たちもいる。下人として市場で売り買いされる者もいる。僧兵としてやとわれている男もいる。人殺しを仕事にする武者もいる。法然上人は、この人々のためにこそ易行念仏の道をひらかれたのだ。自分もまた、この人々と共に生きるのだ。”

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