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“すみません”ということば

中国新聞に連載中のきたやまおさむさんのエッセー『心がみえますか』、12月17日のエッセーは「すまない」という言葉についてだった。

きたやまさんは精神科医だけあって言葉にこだわる。言葉が治療のひとつの手段になり、その言葉で心を緩める人が何人もいたのだろう。

私たちが良く使う「すみません」という言葉の「すむ」は、済む、澄む、住むなどと漢字で使い分けられ、時間的に「済む」、濁ったものが「澄む」、そして定住して「住む」など、動いていたものが落ち着くという意味があり、この国では「すんでいること」が人生の目標として掲げられ、その否定形である「すまない」「すみません」は、逆に自分がなかなか澄まない、落ち着かない、乱れている、という感覚でとらえ、認めて陳謝するのだという。

だが、落ち着かず、中途半端さを認め、陳謝する「すまない」「すみません」という言葉を私は嫌いではないのだが。

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