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今、そこにある危機

 中国新聞に北山修さんが“心が見えますか”というタイトルでコラムを載せている。

 日本中の駅から駅裏が消え、駅前も含めてどちらも表玄関のようになってしまった。かっては、表のビジネス街で溜め込んだストレスを発散する場所として、大都会の駅裏には歓楽街が広がっていたこともある。・・・・

 ・・・辞典で「ウラ」をひくなら、「ウラ」に心という意味を発見することで実に日本語の奥の深さがわかる。「うら恥ずかしい」「うら寂しい」という場合の「ウラ」がそうなのだが、日本人が心を「ウラ」と呼ぶとき、心とは簡単に表に出ていけないことを伝えている。

 どこもかしこも管理された表舞台には、心の置き場所がない。それまで裏や陰にあったはずの心や身の置き所が危機に瀕しているのである。だから、最近の事件では、裏や陰に追いやられていたはずの心が町のど真ん中でむき出しになり、暴走し、悲鳴を上げているのだと私は考える。

 全てが表舞台と化した現代で、自分の裏としての心を出せる楽屋裏とは、今や精神科医の診察室やカウンセラーのオフィスしかないのか、・・・・

 確かに、今そこにある“格差社会”の真っ只中で生活し、一度つまづいたらなかなか起き上がれない社会構造、経済至上主義の結果、異様なほど個性のなくなった駅前や町並みのなかでの日常では、心の置き場所がないのかもしれない。

 悲鳴を上げているのは若者だけではない。

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