秋の祭

実りの秋到来、この地域の秋祭りも先日終わった。
祭りが近ずくと老人会などの人たちが、町中の軒先や道路に沿って提灯や白い紙飾りをしつらえる。
この光景をみると、一種厳かな気持ちになるのは何故なんだろう。古くから続いてきたしきたりの重みだろうか。
古来より日本人はこの時期、一年の収穫を神に感謝してつらく厳しい冬を無事に過ごせるよう祈り、それが全国各地で行われる「秋祭り」の起源といわれている。
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実りの秋到来、この地域の秋祭りも先日終わった。
祭りが近ずくと老人会などの人たちが、町中の軒先や道路に沿って提灯や白い紙飾りをしつらえる。
この光景をみると、一種厳かな気持ちになるのは何故なんだろう。古くから続いてきたしきたりの重みだろうか。
古来より日本人はこの時期、一年の収穫を神に感謝してつらく厳しい冬を無事に過ごせるよう祈り、それが全国各地で行われる「秋祭り」の起源といわれている。
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新自由主義とグローバリズムが広がる中、着々と深まる格差や貧困、この状態は否応無く続くのだろうか、政局だけに全精力を傾けているこの国の政治家に期待は出来ない。
7月17日付の中国新聞で読んだ記事で、共同通信の記者が社会主義の理論家でレーニンを研究する日本学術振興会特別研究員である白井聡さんが語ったことをまとめる形で載せている。
・・・「資本主義では必然的に少数者に富が集中する。初めて格差社会を発見したように大騒ぎをするのはこっけいだ」と、格差社会を理解するうえでのマルクス、レーニンの理論の有効性を強調する。・・・
なぜ今、レーニンなのか。それはロシア革命前夜と現在の時代状況が似ているからだと言う。「この四、五年で世の中が悪くなった。レーニンが作った世界が存在しなかった時代と、ソ連が崩壊して社会主義国が存在していない時代という点で似通ってきている」と話す。共通するのは、「むき出しの資本主義」だ。
ソ連があった時代、西側諸国も対抗上、福祉国家的政策を取らざるを得なかった。「日本も含め自由主義国は、社会主義国との比較において、平等性を資本主義の中でも作らなければならなかった」だが、「ソ連が無くなり弁明の必要が無くなった。それが今、ネオリベラリズムという形で現れ、階級対立が見えやすくなってきた」という。
対抗すべき労働者階級は正規、非正規に分断されているのが実態だが、「奴隷身分の中の相対的な差に過ぎない」「『われわれは何なのか』という、資本主義システムの中での必然的な立場を知ることが大事だ。そうすれば連体の契機が考えられる」と打開の道を探る。・・・
小泉さんの「官から民へ」の言葉に代表される市場原理主義、公共事業費、社会保障費の歳出削減や規制緩和を急速に進めた結果、大きな富の生産に結びつく国民と結びつかない国民に線引きされ、膨大な中間層が構成された。
白井さんは「下層に落ちる危険性を常に感じながら生きる中間層が、今後ナショナリズムの担い手になる」という。
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中国新聞に辺見庸さんが随筆を載せている。“水の透視画法”というタイトルである。透視画法とは遠景、眺望、予想、見通し、視野などの意味がある。物事を見る時、表面にとらわれず本質を見抜けという意味なのか?良く解らない。
新聞に辺見さんの文が載っていると素通りできず、一字一句しっかり読んでしまう。取り上げるタイトルのせいなのか、文体のせいなのか、それも良く解らない。
大分前の“プレカリアート”というサブタイトルの文が心に残っている。
辺見さんが客員教授をしていたころの教え子との会話で成り立つ随筆である。
教え子はいう。「ぼくら、いったんプレカリアートとしてアンダークラスにくみこまれたら、袋小路から抜け出すのは不可能にちかいんですよ」(プレカリアートとは、英語のプレキャリアス(不安定な)とプロレタリアートを組み合わせた欧州の若者の造語)、「自由で、民主的で、効率的な、事実上の奴隷制がいまある」と。
そして教え子は問う。「このような時代を経験したことがありますか」「いま、いったい、何に怒ればよいのですか」と。
そして、彼はいう。「自殺多いでしょ。あれって変種のテロじゃないですかね」「大恐慌、きますか。きたら、ガラガラポンですよね」・・・・
読み終えて、出口のないトンネルからようやく外へ出たような、ひどく疲れたような感覚だったのを思い出した。
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中国新聞に北山修さんが“心が見えますか”というタイトルでコラムを載せている。
日本中の駅から駅裏が消え、駅前も含めてどちらも表玄関のようになってしまった。かっては、表のビジネス街で溜め込んだストレスを発散する場所として、大都会の駅裏には歓楽街が広がっていたこともある。・・・・
・・・辞典で「ウラ」をひくなら、「ウラ」に心という意味を発見することで実に日本語の奥の深さがわかる。「うら恥ずかしい」「うら寂しい」という場合の「ウラ」がそうなのだが、日本人が心を「ウラ」と呼ぶとき、心とは簡単に表に出ていけないことを伝えている。
どこもかしこも管理された表舞台には、心の置き場所がない。それまで裏や陰にあったはずの心や身の置き所が危機に瀕しているのである。だから、最近の事件では、裏や陰に追いやられていたはずの心が町のど真ん中でむき出しになり、暴走し、悲鳴を上げているのだと私は考える。
全てが表舞台と化した現代で、自分の裏としての心を出せる楽屋裏とは、今や精神科医の診察室やカウンセラーのオフィスしかないのか、・・・・
確かに、今そこにある“格差社会”の真っ只中で生活し、一度つまづいたらなかなか起き上がれない社会構造、経済至上主義の結果、異様なほど個性のなくなった駅前や町並みのなかでの日常では、心の置き場所がないのかもしれない。
悲鳴を上げているのは若者だけではない。
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禊萩(みそはぎ)科、花は7月から9月にかけ枝の先端に群がって咲く。夏に開花する庭園花木として魅力のある存在である。我が家の庭でもこの時期、一番存在感を放っている。近くでみると、花木のわりに花はウェーブか゜かかり、華やかな装いである。
8月も終わりになると、この白い百合が庭のあちこちで花を開き始める。風が少し冷たく感じる頃、秋風を連れてくるように咲き始める。
タカサゴユリという名前だということを最近知った。
タカサゴユリは種子で繁殖、花が終わると1輪につき1本、長さ10㌢ほどの細長い莢(さや)が出来、晩秋になると莢がはじけて種子が放出されて風で運ばれる。地面に落ちた種子は翌春に芽を出すが、その年は花を付けず翌年から花が咲き、年を追って1本の茎に咲く花の数が増えるという。
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ベランダ側から庭へ出るちょっとした通り道、いつもここから出入りしているので歩く場所だけ雑草が生えない。本当にコース通り小道が出来ている。
初夏に最初に咲くのは桔梗。この花を見て思った。やはり私は花の中で桔梗がいちばん好みだと・・・・。
桔梗科のこの花は初夏から9月にかけ紫色の大きな花を咲かす。少しうなだれて横向きに咲いている花の隣に小さな風船を膨らませたような蕾が咲いている。
この頃になると鉢のあちこちにねじ花が顔を覗かせる。いつも窮屈な場所から芽を出すが蘭科と聞いて納得。
耐寒性多年草で沖縄を除くほぼ日本全域に自生、別名『コマチラン』というそうだ。
庭のあちこちに自生しているオレンジ色の花。百合の一種だと思うのだが・・・・。最初は杏の木の下に数本見えていたのがいつの間にか領地を広げ、反対側にも進出している。百合の繁殖の仕方はどうなっているんだろう。
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