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シリーズ『IWAKUNI迫る爆音 深層を追う』を読んで

岩国市長選を制した福田良彦市長の就任で、岩国基地への受け入れに向けた動きは加速する見通しとなった。

2月に中国新聞が『IWAKUNI 迫る爆音 深層を追う』で、米軍再編全体でも重要な役割を果たした滑走路の沖合移設事業が、どんな時代背景の中から生まれ、どのような道筋をたどってきたのか検証していた。
興味を持って岩国の動きを見てきたので、新聞の記事を元に忘れないように整理してみようと思う。

 滑走路を一㌔沖合に移す巨大事業の原型となるアイデアが岩国市内部で浮上したのは、1960年代前半。ある出来事がきっかけだった。当時の基地司令官が北側の工場群にある帝人岩国工場の煙突を飛行に危険だとして切るよう求めた。「滑走路の角度変更などいろいろな案が検討され、沖合移設に落ち着いた」。
 具体化に向けて火がついたのは、全国に衝撃を与えた米軍機の事故だった。68年6月、福岡市の九州大構内にファントム機が墜落。岩国基地所属と同型機だったため、岩国市議会は「基地移設」を決議。「沖合移設」を再度、決議した。現滑走路部分の返還を求め、跡地を活用したい思いもあった。
 政府・与党が着工を決定したのは92年。曲折の末、計画は「千㍍沖へ」の移設となった。環境影響評価と山口県の埋め立て承認を経て97年、着工にこぎつけた。事業費は全額「おもいやり予算」を充てた。着工当時で1,600億円。その後の計画変更で2,400億円に膨らんだ。
 巨額な土木利権が中央の建設業界を潤す一方、「跡地返還」は棚上げとなった。埋め立てで面積が1.4倍に膨らみ、港湾機能も充実する基地の拡大が地元の要望で実現する。国にとって戦後、例のない成果は、米軍再編の中で重要なカードとなった。
 「イワクニでは最新鋭の航空機を収容し、維持補修機能を提供するために現在、改善が進められている」。これが在日米海軍司令部の認識だ。沖合移設に対する地元の受け止めとは大きな開きがある。
 負担軽減が狙いだった事業が、基地機能強化につながったことに納得しない市民も少なくない。

それでは、岩国基地の沖合移設事業の意味を、どうとらえればいいのか。問いかけに対する軍事評論家の前田哲男氏の指摘と、立命館大の中逵教授の指摘が興味深い。

-沖合移設は本来、負担軽減が目的でしたが-
 国側にとって最初から基地の拡張が狙いだったかというと、その証拠はない。滑走路を移して欲しいという市民感情を官民で共有して国と交渉した。ところが交渉過程で国にイニシアチブを握られて力関係が傾き、現滑走路の返還という前提が崩れていった。
-なぜですか。-
 着工段階で地元はボールから目を離し、色気を出したために本質からずれてしまった。それが愛宕山開発だと考えている。
-米軍再編の受け皿になったことの時代背景をどう考えますか-
 在日米軍は中東の米国の権益を守る戦略に加え、世界の資本主義のお目付け役となる軍事的プレゼンスとして再定義された。さらに911テロ以降はいつ、どこで何があるかわからない相手を、軍事力で制圧するのが米国の戦略となった。・・・その一方で、首都圏にある厚木は米軍にも使いづらく、日本政府も限界は自覚していた。艦載機部隊の岩国移転は、世界的な流れとこうした事情がマッチした結果だと思う。
-今後、検証していくための視点は-
 岩国のような大規模な基地拡張は、普天間基地の移設先としてこれから計画される辺野古以外にはない。地方自治の在り方にかかわる問題でもあり、どういう力学で現在に至ったのか、十分に解明していくべきだ。・・・

 立命館大の中逵教授は広島大助教授だった95年、沖合移設事業の論文をまとめた。事故防止や騒音対策という建前とは別に、本音では地域振興が目的だったと分析。事業を成功と位置づけた。
 その段階では、今日の米軍再編までは想定していなかった。「沖合移設が決まった段階で跡地返還に備えた将来のまちづくり計画を作り、議論していれば状況は変わっていたかもしれない」と中逵教授は考える

68年、九州大のファントム墜落等の「負の歴史」が原点になった沖合移設だが、本来の目的の負担軽減という本質がずれてしまった。そこが分水嶺だった。
沖合移設への埋め立て用の土を確保するとともに跡地を住宅団地にして人口増を図る「愛宕山地域開発事業」、ところが、地価下落などから事業は見直しに。昨年、県と市が事業中止で合意し、国は県との協議で買い取りに基本合意した。国につけいるスキを与えてしまった。

最後の砦であった2月の出直し市長選で井原氏が敗れ、戦後、例を見ない大規模な基地拡張、基地城下町が進みつつある。

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