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2008年3月

シリーズ『IWAKUNI迫る爆音 深層を追う』を読んで

岩国市長選を制した福田良彦市長の就任で、岩国基地への受け入れに向けた動きは加速する見通しとなった。

2月に中国新聞が『IWAKUNI 迫る爆音 深層を追う』で、米軍再編全体でも重要な役割を果たした滑走路の沖合移設事業が、どんな時代背景の中から生まれ、どのような道筋をたどってきたのか検証していた。
興味を持って岩国の動きを見てきたので、新聞の記事を元に忘れないように整理してみようと思う。

 滑走路を一㌔沖合に移す巨大事業の原型となるアイデアが岩国市内部で浮上したのは、1960年代前半。ある出来事がきっかけだった。当時の基地司令官が北側の工場群にある帝人岩国工場の煙突を飛行に危険だとして切るよう求めた。「滑走路の角度変更などいろいろな案が検討され、沖合移設に落ち着いた」。
 具体化に向けて火がついたのは、全国に衝撃を与えた米軍機の事故だった。68年6月、福岡市の九州大構内にファントム機が墜落。岩国基地所属と同型機だったため、岩国市議会は「基地移設」を決議。「沖合移設」を再度、決議した。現滑走路部分の返還を求め、跡地を活用したい思いもあった。
 政府・与党が着工を決定したのは92年。曲折の末、計画は「千㍍沖へ」の移設となった。環境影響評価と山口県の埋め立て承認を経て97年、着工にこぎつけた。事業費は全額「おもいやり予算」を充てた。着工当時で1,600億円。その後の計画変更で2,400億円に膨らんだ。
 巨額な土木利権が中央の建設業界を潤す一方、「跡地返還」は棚上げとなった。埋め立てで面積が1.4倍に膨らみ、港湾機能も充実する基地の拡大が地元の要望で実現する。国にとって戦後、例のない成果は、米軍再編の中で重要なカードとなった。
 「イワクニでは最新鋭の航空機を収容し、維持補修機能を提供するために現在、改善が進められている」。これが在日米海軍司令部の認識だ。沖合移設に対する地元の受け止めとは大きな開きがある。
 負担軽減が狙いだった事業が、基地機能強化につながったことに納得しない市民も少なくない。

それでは、岩国基地の沖合移設事業の意味を、どうとらえればいいのか。問いかけに対する軍事評論家の前田哲男氏の指摘と、立命館大の中逵教授の指摘が興味深い。

-沖合移設は本来、負担軽減が目的でしたが-
 国側にとって最初から基地の拡張が狙いだったかというと、その証拠はない。滑走路を移して欲しいという市民感情を官民で共有して国と交渉した。ところが交渉過程で国にイニシアチブを握られて力関係が傾き、現滑走路の返還という前提が崩れていった。
-なぜですか。-
 着工段階で地元はボールから目を離し、色気を出したために本質からずれてしまった。それが愛宕山開発だと考えている。
-米軍再編の受け皿になったことの時代背景をどう考えますか-
 在日米軍は中東の米国の権益を守る戦略に加え、世界の資本主義のお目付け役となる軍事的プレゼンスとして再定義された。さらに911テロ以降はいつ、どこで何があるかわからない相手を、軍事力で制圧するのが米国の戦略となった。・・・その一方で、首都圏にある厚木は米軍にも使いづらく、日本政府も限界は自覚していた。艦載機部隊の岩国移転は、世界的な流れとこうした事情がマッチした結果だと思う。
-今後、検証していくための視点は-
 岩国のような大規模な基地拡張は、普天間基地の移設先としてこれから計画される辺野古以外にはない。地方自治の在り方にかかわる問題でもあり、どういう力学で現在に至ったのか、十分に解明していくべきだ。・・・

 立命館大の中逵教授は広島大助教授だった95年、沖合移設事業の論文をまとめた。事故防止や騒音対策という建前とは別に、本音では地域振興が目的だったと分析。事業を成功と位置づけた。
 その段階では、今日の米軍再編までは想定していなかった。「沖合移設が決まった段階で跡地返還に備えた将来のまちづくり計画を作り、議論していれば状況は変わっていたかもしれない」と中逵教授は考える

68年、九州大のファントム墜落等の「負の歴史」が原点になった沖合移設だが、本来の目的の負担軽減という本質がずれてしまった。そこが分水嶺だった。
沖合移設への埋め立て用の土を確保するとともに跡地を住宅団地にして人口増を図る「愛宕山地域開発事業」、ところが、地価下落などから事業は見直しに。昨年、県と市が事業中止で合意し、国は県との協議で買い取りに基本合意した。国につけいるスキを与えてしまった。

最後の砦であった2月の出直し市長選で井原氏が敗れ、戦後、例を見ない大規模な基地拡張、基地城下町が進みつつある。

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春霞のような・・・

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子猫のときを思い出させる“みー”の寝顔。
ちょうど今の季節のように、朧にかすんでいる。









でも、これがひとたび目覚めると我が物3顔で、「ミー」という一声でご 主人様にあれこれ命令するのである。夫Nいわく“ホワイトデビル”の登場である。












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春は“おもむろ”に

一雨ごとに樹木がにおいたち、光り輝きが増す季節になった。

気が付くと、今まで冬枯れで枯山水状態だった庭のあちこちに、さっそく丈夫な雑草が根を張り、陣地を広げてきている。

朝夕はまだまだ寒く、春は、三寒四温を繰り返し、足踏みをしながら近づいてくる。

春は“徐(おもむろ)”にやってくると聞いたことがある。“おもむろに”とは、「ゆっくり」という意味のほかに、「物静かに」という意味があり、人知れず、ひっそりと訪れるという事だ。

冬の寒さをこらえ、春を待ちわびる人にとって、ゆっくり、少しずつ春の気配を出しながら訪れる演出は心憎いばかりである。

そして、桜のおでましで、「まってました!」とばかり宴が始まるのである。

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3月の庭-'08

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山茶花や、つばきの花が散り、かわりに水仙や月桂樹の木につぼみが付いてきた。







  

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緑の色が少なく、まだまだ冬枯れの様子だが、水仙の黄色やボケの花の赤がチラホラ見え始めた。








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クロガネモチの実は全て野鳥に食べつくされ、右の紅葉もまだまだ目を吹いていない。










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春のお彼岸

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春のお彼岸の時期になった。

暑さ、寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。彼岸の入りに入って急に春らしくなり、ぼけの花も開きだした。

墓参りになかなか帰省できないため、せめてもと毎年おはぎを作って供えている。

“おはぎとぼたもち”の違いについて、呼び方、形、あん等諸説あるが、私は春はぼたもち、秋はおはぎで粒あんが好きなのでどっちも粒あんにしている。



作り方
もち米とうるち米(3割程度)をあわせたカップ2を普通に炊飯器で
炊く。

小豆300gをたっぷりの11_2水にいれ火にかけ、沸騰したら水を取り替えて、ひたひたの水を入れて強火で煮、沸騰したらふきんをかけて弱火で煮、ときどき差し水をする。豆が軟らかくなったら火を止めて一時間蒸らす。再び、火にかけ砂糖300gを加え、沸騰したら火を止め、一晩おく。

一晩みつ付けしたものを沸騰させ、みつと豆に分け、みつを煮詰め、泡が細かくなってきたら別にしておいた豆をくわえ、中火でよく練り合わせる。最後に水あめ30㌘を加え、練り混ぜて粒あんの出来上がり。



この分量で大きめのぼたもちが大体 14個くらい作れる。それぞれを14等分してから、ラップを手のひらに敷き、あんを広げ、もち米を中央において包む。
このやり方が手が汚れず、あんを無駄にせず使いきれるのでおすすめ。




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シンビジュームと“みー”

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サンルームの中で暖かい日差しを浴び、体の芯まであったかそう!








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シンビジュームが今年もきれいに華やかに咲いた。

花が元気に育つ環境は同じ“いきもの”の“みー”にとっても成育条件はいいのだろう。









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置き物化している“みー”












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くだものの香り・・・レモン

 

 

 

 

 

 

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地物のレモンが9個198円で売っていた。あまりに安いのでつい買ってしまったが、新鮮なうちに使い切りたいので、レモン酒とレモンのはちみつ漬けを作ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レモン酒
レモン3個は、くし型に切り、半量は皮をむく。容器に氷砂糖200~300gとレモンをいれ、ホワイトリカー0.9ℓを注いで、密封する。

 

4ヶ月くらいおき、レモンが完全に脱色したら酒をこし、瓶に入れ保存する。

 

 

 

はちみつレモン

 

保存瓶に2~3mmの厚さに輪切りにしたレモン1個分をいれ、はちみつ1カップを注ぎいれ、レモン汁とはちみつがよく混ざり合うように、半日の間、4~5回攪拌する。混ざったら、そのまま冷蔵庫で保存する。2ヶ月くらいは美味しくのめる。冷たい水や、お湯、炭酸水、又は牛乳で割って飲む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の時期なら、やはりお湯で薄めて飲むと体が暖まり、美味しい。17 

 

 

 

レモンの魅力はやはり清涼感だろう。風味も良いので紅茶に一切れ浮かべたり、肉や魚に絞ったりと使い方はいろいろ、冷たいトマトジュースにギュッと絞ったレモン汁を入れて飲むのも格別だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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無残! 公務員改革

中国新聞3月11日付の記事によると

政府は10日、月内の国会提出を目指す「国家公務員制度改革基本法案」で焦点となっている「内閣人事庁」に関して、官房長官をトップに新設するものの、機能は各閣僚が幹部人事案を作成する際の「情報提供や助言」に限定する方針を固めた。・・・・
政府の有識者会議が提言した同庁設置構想は、各省幹部人事を内閣が一元管理し「縦割り行政」の弊害を排除することが目的だったが、各省の実質的な人事権限は温存され、改革は大幅に後退することになる。・・・

と載っていた。
やはりと別に驚きはしなかったが、虚しさだけが残る。

今年に入ってからの公務員改革の動きをみてみると、

1月10日、政府の有識者会議「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会(座長・岡村正東芝会長)」は新設する「政務専門職」以外の国家公務員の国会議員との接触の原則禁止、人事を一元管理する「内閣人事庁」創設を柱とする報告書原案を提示した。

1月21日、懇談会は族議員らの強い反発で、国家公務員の国会議員との接触の原則禁止を撤回する修正案をまとめた。新設する「政務専門官」以外の公務員についても「閣僚の命令による場合に限る」との条件を付け、実質的には「許可制」として接触を認めた。

1月30日、懇談会による報告書最終案が判明した。提言の柱は各省縦割り主義からの脱却だ。内閣人事庁を創設し、総務省や人事院などに分散している人事関連機能を集約する。各閣僚の補佐役として新設する「政務専門官」以外の議員との折衝は「厳格な接触ルールを確立して、接触を集中管理する」とした。さらに、キャリアシステムの固定化につながる試験を廃止し、守秘義務違反者を処罰する必要性を強調した。

政府はこれを受け、調整に調整を重ね方針を固めた。法案の柱は(1)内閣人事庁の創設(2)国会議員との接触制限(3)キャリア制度の廃止(4)労働基本権の拡大の4点。政府の有識者会議が2月上旬に提出した最終報告書の項目をほぼ盛り込んだ形だが中身は閣僚や官僚の異論で大幅に後退、特に、 「内閣人事庁」と政管接触制限は完全に骨抜きになってしまった。町村氏の「なぜこういう組織が必要なのか」という発言には開いた口が塞がらない。

そんな時、産経ニュースの生活欄に堺屋太一氏の一文を見つけた。

 ・・・・かつて経済高度成長を演出し、格差も犯罪も少ない世の中を創(つく)り、優れた基礎教育を築いたはずの日本の官僚機構が、なぜこれほど劣化したのか。

 その最大の原因は、官僚機構の共同体化、国家国民に奉仕するのではなく、官僚仲間の安逸と組織利益のために働く倫理の退廃である。

 組織はある目的を達成するために作られる。しかし、作られた組織は、本来の目的とは異なる目的を持つ。組織に属する者の安楽と富貴を追求するのだ。

 日本の官僚機構は、それぞれの行政目的を達成するために作られた。しかし、高度成長から40年、各府省には情報の秘匿と年功人事で競争のない閉鎖社会ができ上がっている。

 キャリア官僚は20年ほどで全員が同時に本省課長職に就き、それからあとは仲間内の評判によって出世の度合いが決まる。つまり自分の府省の定員と予算を増やし、威張れる権限を強め、天下り先を広げた者が出世するのである。

 このため、官僚たちは定員と予算と権限の拡大を目指して国会議員に根回しをする。内閣の方針も大臣の意向も無視して、「わが省の方針」を説き回る。守屋元防衛省次官は、業者の水増し価格請求にも気付かぬほど業務には無知だったが、大物次官として長期君臨できたのは、議員回りの院外団活動に熱心だったからだという。日本の官僚は、「省益あって国益なし」といわれる所以(ゆえん)である。・・・・

・・・・官僚(公務員)を、天下り付き終身雇用の身分から、適材が務める効率的な職業に改めることこそ、傾きかけた日本を再興するはじまりである。

正に正論で同感であるが、官僚の保身のための団結力を見せ付けられて虚しさだけが残る。

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シンビジューム 花開く

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急に暖かくなり、シンビジュームの花がアットという間に開いた。

このピンクのシンビジュームは、毎年一番最初に花ひらき、サンルームを華やかに彩ってくれる。

もう少ししたら、サンルームから外へ引越ししなければ・・・。その頃には庭の春の花たちも咲き始めるだろう。





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春の足音

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3月に入り、杏のつぼみも少しふっくらとしてきた。

瀬戸内は温暖な気候のおかげで、他の中国地方より少し早く春の足音を感じる。

水仙も満開までもう少しだ。




そういえば、メジロがぱったり姿をみせなくなった。数日前まで毎日集団で押し寄せていたのに・・・。ヒヨドリもこなくなったな、と思っていたら、庭の果実がすっかり食べつくされていた。万両も、あんなにあったクロガネモチの実も。

変わりに登場してきたのがジョウビタキだ。
この鳥はいつもひとりだ。集団行動しないらしい。とても人懐っこい鳥で、ものおじしない。余程近づかないと逃げない。私のお気に入りの鳥の一羽である。

イソヒヨドリ、今日はじめて見た。キッチンにいる時、騒々しい鳴き声に声の主を探すと、隣の家の軒下にいた。青みをおびたきれいな鳥だ。近くに水の流れがあるからなのだろう。

そして、今日の昼過ぎ、今年初めてウグイスの声を聞いた。“ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ”と、なんともぎこちない。姿は声に似ず、地味な灰色がかったダークな黄緑色で本当に小さくかわいい鳥である。
生垣のカイヅカの枝を飛び回っていた。声は良く通るのに体の色がめだたないので、葉の色が保護色になっていつも見つけるのに苦労する鳥だ。

次に、訪れるのはどの鳥たちかなあー。




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冬の指定席3

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サンルームに置いてある洗濯機の上がお気に入り。

暖かい日差しを浴びて“考える猫”ポーズをとっているが、実は何にも考えていない“みー”









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桃の節句に

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3月3日は桃の節句

桃の花の変わりに剪定した杏の枝を飾ってみた。桃の花のやさしい雰囲気とは少し異なり、華やかな感じになった。

自分だけのお雛様が欲しくて前から探しているのだが、なかなかこれというのがなく、今年も飾れずじまい。来年こそ!!

以前、テレビで年配の女性が自分の部屋に本当に素敵なお内裏様とお雛様を飾っていたのを見た。女性にとってお雛様は特別なものなのだ。




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桃の節句のメニューは
ちらし寿司、チヌの吸い物、デザートにパステルカラーの淡雪カン。

ちらし寿司を美味しく作るコツは、なんといっても酢飯。
普通のご飯よりもやや硬めに炊いて、米1カップに対し、酢33cc、塩小さじ2/3、砂糖大さじ1の合わせ酢の割合。

すし桶にご飯を入れ、合わせ酢をかけ切るようにまぜ、あおいでつやを出す。酢飯が人肌くらいに冷めたら具を入れ、よくまぜる。

具はお好みで。




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いきもの変動-緑の侵食

2月25日付、中国新聞 シリーズ『いきもの変動』に“コケ退治 LEDが効果”という記事が載っていた。

・・・陽光の差し込まない地の底に、緑が不気味に息づく。正体は、暗闇で育つはずのないコケやシダの仲間だ。山口県秋芳町の国特別天然記念物「秋芳洞」。数十万年もの時を刻む鍾乳石郡が魅了する観光地にも、静かな変動が起きている。
「観光道を照らすライトが太陽の役割を果たしているんです」。秋吉台科学博物館長が「変動」の要因を説く。・・・
コケやシダの胞子は風に乗り、観光客とともに入り込む。人口照明は光に加え、発する熱で洞内の気温を約一度上げてしまう。もともと薄暗くとも育つコケやシダには生育環境が整った格好だ。ところが、洞内の美観は緑の侵食で損なわれる。根を張れば貴重な鍾乳石郡を傷つけかけない。・・・

そんな中、山口県産業技術センターなどが協力を買って出、コケやシダの繁茂を抑えるために始めた発光ダイオード(LED)の照明実験が、成果を挙げているという。

昨秋、殺菌効果のある近紫外線と白色の二種類のLEDを詰めた照明一基を、コケが生えた地点に設置して実験、抑制効果をコケの面積の変化で追い、コンピュータで画像処理すると2月25日現在、四ヶ月間で約35%の減をみた。「LEDの殺菌効果などが表れているのでは」と四季を通じての効果を探ることにしているという。

科学の力、サイエンスが今までいきものを育ててきた、この地球を守る。
いきものの“変動”を抑えるのは、今まで文明の名の下で破壊し続けてきた側の人間が修復していかなければならないのだと思う。

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