« 冬の指定席 2 | トップページ | 春告草 »

醒めた狂気

いつか夫Nが“死刑制度をどう思う?”と聞いてきたことがある。
その時は即答できなかった。今までの私だったら“人の命を奪ったら自分の命で償うのは当然、身内が殺されたら、あだ討ちが出来る江戸時代の方が利にかなっている”等と言っていたかもしれない。

今の私の考えは死刑制度廃止の方に固まってきている。
この世に生を受けた命はどんな命も重く、重さに差はない、条件付の重さはあり得ない、奇麗事のようだが、そう思うようになった。

人が存在する事に意味はないとある哲学者は言う。意味のない存在に理由のある“死”があるのだろうか?生きて、そして死ぬ、死も生なのだとも言う。

罪を犯したら償わなければならない。それは当然だ。だが、“命”を摘み取った人の“命”を人がまた摘み取る。人が人の“命”を絶つのに変わりはない。罪を犯した人は、生きて苦しみ、償い、生を終えなければならないと思うようになった。

最近、死刑が執行されたというニュースが多くなった。
作家の辺見庸さんが新聞の対談で語っていたことが思い出された。(鳩山邦夫法相が死刑執行について『自動的に進んでいけば』と発言したのは、辺見さんの入院直後だった)「ドキドキする思いで、その言葉を聞いた。生体の、生きている体の痛みに一切の想像力を持てない人間がいることに、病院にいると、ぞっとするほどのリアリティを感じた」

人は生まれたら死ぬまで生きるしかない。死んだ方がましだと感じる生もあるだろうが生きるしかないのだ。生きることに不条理を感じても生きるしかないのだと思う。

|

« 冬の指定席 2 | トップページ | 春告草 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事